アルバニア テス ヴァルボナパス

アルバニア テス(Teth)-ヴァルボナ(Valbone)パス トレッキング
2023/9/14

 なぜ今更アルバニアでのことを記録しようと思ったかというと、あまりにも素晴らしい体験だったので、このまま詳細を思い出せなくなってしまうのはもったいないという気持ちはもちろん、ふと登山の恐さを思い出したのと、日本語でテスからヴァルボナへの登山を書いている人がなんとなく少なかったので、なんとなく後続の方の一助になればと思ったからだ。まあ、このブログにたどり着く人がいるとは思えないけど!

 と、いうわけで、長い記録の前に、
 私が最初に誤った道に進んで2時間ほど山を彷徨っていた時に行こうと思っていたルートを手っ取り早く先に紹介しておきましょう。

黄色いルートに地図どおりの道があるのか不明。避けた方が良さそう?

 テスの村からやや南にある赤丸地点が私の宿泊地。右側の赤丸の目的地がテス~ヴァルボナルートの頂上地点(ピーク)に当たる。

 端的に言うと、黄色い道はあるかわからないし、誰もいない。(たまに馬はいるが)

 テスの村は南に行けば行くほど登山口から遠ざかるため、ホテル代が安くなる傾向にある・・・気がするので南の方に宿を取る人も多いことと思う。そのあたりからうっかりグーグル検索などで頂上までの道順などを調べてしまうと、黄色いルートが真っ先に出てくる。けどたぶんそんな道はない、というかあったとしても旅行者が行くべきではない(まして単身ではなおのこと)。グーグルマップにある道を信用してはならない。その道はMAPS.ME(海外旅行で大変便利な地図アプリ)には載っていない。
 南の方に泊まっても、テスの村の北(大きい☆地点)まで行き、そこから赤いルートでピークかヴァルボナを目指すのが良いかと思われます。

ということだけ真っ先に記しておきます。
 ちなみに歩いていくとテスの村の南(教会の付近)から北の登山道入り口まではまあまあ距離がありますのでお気をつけて。
 黄色い道のことをご存じの方がいれば教えて下さい!笑

 

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 そんなわけで、ここからはアルバニアやテスの村でのことなどを振り返りながら記録しておこっかな!

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 2023年の9月、アルバニアのドゥラスに20日間滞在した。

ドゥラスの大通り
夕日とセンター街

 

 首都のティラナや世界遺産のベラトを見て回った以外、平日はほとんどドゥラスの海岸のそばにあるマンションの1室で仕事をしていた。たまに外に出ては海沿いを歩き、飯を食い、夕日を眺めたり、タトゥーを入れてもらったりしていたが、最後の4日は何とかして予定を空け、どうしても「呪われた山」とか仰々しい別名で呼ばれているらしいアルバニア北部、コソボとの国境あたりにある山地を見て回りたいと思っていた。そのために登山靴を荷物に忍ばせてきたといっても過言ではなかった。

 しかし単身で海外で登山、というのはかなり危険が伴うし、ハードルが高い。かといってコーマン湖をフェリーで回りヴァルボナからテスに抜けるガイド付きのシュコドラ発ツアーも、日程の長さと、ドゥラスからシュコドラまでのバス移動など鑑みると、あとの飛行機に間に合わないため参加できそうになかった。しかし、ここまで来て、あと5日もすれば日本に帰ってしまうのに、とどうしてもあきらめきれなかった私は、ティラナ空港で車を借り、テスまで車で直行、1泊2日で周辺の山を散策し、ドゥラスまで戻り、宿を引き払って荷物を回収、車で空港に行き、車を返して飛行機に乗る、といういかにも強行突破という感じのスケジュールを組んだ。あらゆるリスクがあることは承知していたが、ここまで来たっていうのに今行かないと後悔するぞ、という自分自身に対する脅迫観念もあったと思う。
 そんなわけで早速ティラナの空港でレンタカーを予約した。

 空港の駐車場には何店舗かレンタカー屋の出張所のようなものが軒を連ねていたが、ネットで検索して比較的まともな評価のついたレンタカー屋の中で一番安い店に決めたためか空港からは距離があるようで、スタッフが空港まで迎えに来てくれることになっていた。比較的まともな、といったのは、ほとんどの店のレビューは星1で、高評価なんて生ぬるい店はなかったからである。

 決行当日、ドゥラスからティラナ空港まではバスで一時間くらい。本数がかなり少ないため、少し早めにバス停に向かった。しかしバス停といえどちょっとした駐車場にしか過ぎないので、看板や行先表示などもちろんなく、どれが自分の乗りたいバスかを見つけるのに時間がかかり、「このバスがそうだ」と教えてもらった時には、小さなバスに列ができていた。私の一人前で満員になってしまい、もう乗れない、といわれたものの、私の方もレンタカー屋との待ち合わせ時間があるので、「どうにかして乗せてくれないか、立ってでもいいから」とお願いすると、おじさんが風呂場にある小さい椅子のようなものを出してきて通路に座らせてくれた。途中で降りた乗客が、「空いたから座りな」とでも言うように、自分の座っていた席を指さした。

 空港に到着してレンタカー屋との待合場所付近に向かう。少し早めに到着したので外にあるカフェでカフェラテを頼み、待ち合わせ場所が見られる席にすわった。約束の時間を過ぎてもレンタカー屋のスタッフと思しき人物はなかなか来ないので、まあこんなものか、とカフェラテをゆっくり飲む。しかし飲み終わって店を出て、待ち合わせ場所の前にいてもやっぱり来ない。本当に来るんだろうか、と不安になって「9時に予約した○○です。空港のKFCの入口の前のミーティングポイントにいるのですが」と電話すると、「わかった、今から行くからそこで待ってて。10分くらいだ」ときた。この時点でもう15分過ぎているのだが、欧州で気の長いヨーロッパ人を見てきた私は、またしてもそんなものか、と思うしかなかった。というか、ここではそんなことで腹を立てても仕方がないのだ。だったらもういっそのこと、待っているというよりむしろコーヒーを飲むなり本を読むなりして、「私はこの時間を楽しんでいるのだ、だからいくら遅くてもかまわない」と思う方がよいような気がして、いつもそう思うように心がけてはいるのだが、心がけているうちは本当のところそうは思えていないということで、しみついた感覚というのはなかなか放れていかないものである。しかしまあ、日本国内では容易に達成可能であろう、公共交通機関を使った時間キッチリの、できるだけ多くの観光地を回る旅行なんてものは多くの国では出来ないし、むしろその方がゆとりがあって幸せだ、というのがいつしか私の意見になった。待ち時間に待ち時間のことについて考える、ということをしていると、レンタカー屋のスタッフは悪びれもせず歩いてやってきて、「じゃあ行こうぜ、アルバニアに来て何日?」と世間話を投げかけながら歩き出した。てっきり送迎車で来ると思ったのでまさか歩くことになるとは驚いたが、そう言われると「もう3週間くらいいて、ここは最高だ」としか出てこなかった。

レンタカー

 貸してもらった車はやや古めかしいヒュンダイだった。エンブレムも取れて無くなっており、日本的に言うとボロい部類に入るが、もっとボロボロの車も珍しくないので気にしない。マルタで借りた車はサイドミラーのカバーが片方なくなっていた。多少ボロボロの方が、気負わなくて済むのでありがたい。「アルバニアで韓国メーカーの車を借りる日本人、あんまりいないんじゃないか…」などと思いつつ、順調にまずはシュコドラ(多くのヴァルボナとテスに向かうガイドツアーの出発する場所)を通過した。昼頃にはテスの村に着いて明日の本番に向けて軽い散策ルートを歩いておきたかったので、道中ゆっくりというわけにもいかなかった。しかし何にしろ、テスの村に入るまでの山道は車道もかなり狭く、終盤はかなりの峠道なため戦々恐々としながらできる限りの安全運転で向かうと、ナビでは3時間半と出ていた道に5時間近くもかかっていた。

宿の駐車場への道

 何度か道に迷って周辺を歩き、看板をたよりに宿を見つけチェックインした途端、無事に到着した安堵と、朝から何も食べていなかった空腹と、さっそくこの美しい村を歩かなくては!という焦燥感が脳を支配して、休憩もそこそこに登山靴に履き替えるとホテルに来る途中で見かけた大きそうなレストランで遅い昼食を取った。

ピーマンのピラフ詰めのようなもの。ベラトでも似た料理を食べておいしかったのでリピート。今日は車に乗らないので安心のビール。

ホテルから往復1~2時間くらいの滝。透明度がすさまじい。
テスの村

昼食の後ひとしきりあたりを散歩して、明日のためにそろそろ休もうか、と思い始めたとき、そういえば宿でも食事を取れるというようなことをチェックインの時に言っていたな…と思いだし、ホテルの亭主に「夕食はここでも食べれますか」と聞くとメニューを渡された。18時くらいだったにもかかわらず、「すまないが今日はもう遅いので、メニューのほとんどは作ることができない…野菜スープなら用意できる」と言う。確かにこんな山奥で、薄暗くなってきてからいきなり飯があるかなどと言ったことがなんだか恥ずかしいことのような気がしてきた。「大丈夫大丈夫、こちらこそすみません」と野菜スープとバケットをもらうことにした。

野菜スープとバケットとビール。右は朝食

 明日は山に登るつもりなので、往復して帰ってくるまでの間、車をホテルの駐車場に置かせてくれないだろうかということ聞きながら、グーグルマップを見せた。ここで冒頭の誤ったルートを選択してしまったのだった。
 前述の通り、テスの村の南にあるホテルからグーグル検索などでヴァルボナ-テスの頂上への道順などを調べてしまうと、このルートが真っ先に出てくる。

で、なおかつ北にある道もかなり人気の登山道であることは調べていて知っている。となると、こういうルートを取れるんじゃないか、と思う。

 上の道を往復するより時間も距離も短く済み、良さそうに感じる。

 ホテルの亭主にもスマホの画面を見せ、何時間くらいかかりそうか、なんて聞いてみると、「君は若いから、4-5時間くらいなんじゃないか」とグーグル先生のおっしゃる通りのことを言うのでますますこりゃ良さそうだ、ということになる。

 車を昼過ぎごろまで駐車場に置かせてほしいということにも快く了承してもらい、夕飯を食べながらスペイン人の老夫婦と少し会話をして、シャワーを浴びて就寝。

 翌朝の朝食の際に亭主にも挨拶とお礼を告げ、宿を出た。亭主は今日は、日本語がびっしり書かれたTシャツを着ていた。日本人が泊っているから着てくれたのかと思うとちょっとかわいかった。

 で、意気揚々と下のルート、つまり冒頭の黄色のルートを西から東へと進み始めたわけだ。最初は地元の人も良く使っていそうな道があり、看板もある。道はどんどん山へ入っていき、30分ほどだろうか…突然広場のようなところに出る。そこから急にどこが道なのかわからなくなる。広場につながっていそうなのは来た道一本だけで、それっぽい茂みの切れ目はどれも行き止まりだった。

 そんな折、広場の一辺に積まれた石塀の向こうに、人一人くらいなら通れそうな、ぎりぎり"道"とも呼べるかもしれない隙間を発見した。その脇に、おそらく生活用水用の、新しそうなホースが通っている。なるほど、このホースをたどっていけば一件でも民家か、野ざらしのカフェ・バーか、とにかくだれか、地元の人のいるところがあるだろう、と思い、これをたどることにする。とにかく迷っては大変なので、このホースだけは何があっても見失わないぞ、ということを心に決め、"道らしきもの"を上っていく。

 途中ガレ場があったりしつつも、ホースは常にわかりやすく見えていた。

 依然"ちゃんとした登山道"とは程遠い状態、というよりは、進むたびどんどん悪化している気もして、人の姿も気配もないので、「やっぱり引き返すか…」という思いと、「もうちょっとでちゃんと道っぽくなるかもしれない…」というよろしくない期待のまま、行ったり来たりを繰り返していたと思う。途中はほぼ獣道のようなものだった。

 浅学ながら少しだけ登山についての知識があったので、この時正常性バイアスがかかっているな、とも自分で感じていた。行ったり来たりを繰り返していたのは、引き返せなくなって身動きが取れなくなることが一番怖かったからで、常に戻れる道かを毎回確かめていたためだった。意識していてもなお、早々に戻ることはできなかったのだから、正常性バイアスとは恐ろしいものだ。

 幸い電波はあったので、グーグルマップで道を確認し、この辺の道のはずだということを確認しては進み、戻れるか確認し、また進み、しばらくすると現在地が道から逸れてきて戻り…。

 結局2時間くらいかけて、ホースの先端、出どころにたどり着いた。行きついた先は、民家でも、野ざらしのカフェ・バーでもなんでもなく、滝つぼだった。下にある村の端まで、ここから水を引いているのだ。

 見上げると、かなり高い地点から滝が細々と降りてきていて、あたりには大きな岩がごろごろしている。今にも途切れそうな細い滝の下流だったので、ひょいと飛び越えて向こうに行けないではなかったが、対岸からは斜面が急にきつくなり、これではいずれ戻れなくなるな、と感じた。近場で一番上りやすそうな岩の上に登ると、そこからは山あいにある村が見えた。それがとても小さかったものだから、「ずいぶんと登ってきてしまった。そうだ、僕はこの滝を見に来たんだ。引き返そう」と突然すっきりした気持ちになって、今ここをゴールと決め、元来た道をホースを頼りに戻っていった。今考えるとそれまでかなり恐ろしいことをしていて、全然意味がわからないが、道がある、と思い込んでいたのがすべての元凶だったと思う。そしてあの時進まなくて良かった、北の登山口からやり直そうと決意できて良かった、とも。

比較的安全そうだった時に撮った道・・・?

 それから1時間半ほどテスの村の中を南から北に歩いて、テス-ヴァルボナパスと呼ばれる登山道の入口に着いた時に思ったことは、「さっきまでいた場所は登山道でもなんでもなかったな」ということだった。

 北の登山口は、それくらい、あまりにもちゃんとしていた。ルートや、距離、難易度なんかも書いてあるし、道も広いし、人もたくさんいるし、登山前に寄って行けとばかりにカフェだってある。ガレ場を登り、草をかき分け、木の隙間をいき、屈んだりするようなことは、こちらの登山道では絶対になさそうだった。最初に見ておくべきだった。日本ほど整備されていないアルバニアの登山口や登山道がどんなものなのか、という知識がなかったのも要因だったように思う。

 私がさっきまで「道、かもしれない…」などと信じようとしていたものは何だったのか。よくわからない。まぁ、たぶん人力で通したホースだと思うので、登った地元民がいたのは間違いないだろうが、少なくとも旅行者が通るような登山道では決してなかった。

 そしてこのちゃんとした登山道の入口に立っている案内を見たとき「あ、これはもう、大丈夫だ。よし登ろう」とさっきまでの精神的疲労が一瞬にして消え去ったのを感じた。

ちゃんとした入口にあるちゃんとした案内板たち。

 とはいえ山を彷徨っていた2時間と、そこから北の登山口に向かうまでで当然ながら体力は消耗しており、元気よく登っていくドイツ人カップルを横目にゆっくりのそのそと登り始めた。自然あるところにドイツ人あり。同じ宿の団体客もドイツ人で、私が1か月前までミュンヘンにいたというと大変驚いていた。
 登山道の景色はずっと素晴らしく、たまに視界が開けては感動しっぱなしであった。

 途中にあった、いかにも手作り感のあふれるカフェ・バーで水を買うと、「どこまでいくのか」と店主に聞かれた。他にも何か聞かれた気がしたが、ものすごく訛っていて聞き取れなかった。

 「頂上まで行って、また戻ってくる。帰りにも寄るよ」と伝えるとまた何か言われたがやっぱり何もわからなかった。申し訳ないと思いながらもてきとうに相槌を打ちながら、「頂上まで何時間かかる?」と聞いてみるとなんとか2時間とわかった。ありがとう、またあとでねとその場を後にした。

 次に登山道沿いにあったカフェは、突然のことで驚いたが、なんともおしゃれな山小屋風のしっかりとした建物だった。

登山道で一番にぎわっているカフェ

 ここで食べたケーキがあまりにもおいしかったなと後で思い出したため、ケーキの名前や値段を控えていなかったことを後悔したが、おそらくコソボあたりの山間の郷土料理でフリアと呼ばれるものであるとのことだった。飲み物を買った時に、一緒にケーキはどうだ、出来立てだよ、と勧めてくれた店員さんに感謝した。

疲れた体に染み渡るやさしい甘味。ほんのりあたたかい。


 降りてくる人に「あとちょっとだよ!」と励まされたり、逆に「あと何分くらい?」と聞いてみたりしながら、実際に頂上に到着したのは、本当にきっかり2時間後くらいだった。

 頂上にはルート案内の看板が立っていて、ここから向こうへ続いている道はヴァルボナへ行く下り道。そして、私がたった今来た道を下るとテス。頂上の尾根の中でもひと際高い突き出した岩に上り、ヴァルボナの方を見渡す。この時の景色は、何と言ったらいいのか、月並みだが、人生で忘れられない景色のひとつだ。見渡す限りの山、それも樹木帯と低木と岩山が点在して模様になり、その隙間を縫うように白い川か、沢かわからないが、くっきりと流れを作っているのが見える。あまりのスケールのでかさに思わず笑ってしまうほどだ。

 追い越し追い越され、同じようなペースで登っていた人もいて、すれ違うたび挨拶するうちに顔を覚えた女性と偶然頂上で一緒になった。

 目が合って二人とも笑顔になり、やぁ、と声をかけられたので、「私たちついに到着したね」と言うと「I'm so happy for you too!」と言われた。その言葉と笑顔にうれしくなって、「me too!」と返した。「for you too」の部分のニュアンスをどう日本語にすればよいのかいまだにわからないでいることは置いておくとして、それにしても、達成感に満ち溢れていたこの時に、本当にうれしい気持ちを共有できた人がいたことは幸いだった。

 一人でぶらぶら旅行していると、うれしい時や楽しい時、美味しいものを食べた時、誰かとこの気持ちを分かち合いたい、という瞬間はまあまあある。それでも一人の方が良いと思う瞬間もあるから、だからこそ、一人で行った先で偶然居合わせた人たちと、たしかに同じ気持ちを共有していたと感じる瞬間というのは、いつまでも心に残っていたりする。どこの誰ともわからないが、たぶん彼らのことはこれから先も、記憶の中から取り出しては眺めるように思い出したりするのだろうと思う。そしてまた、あの時の気持ちを味わえたら、と考えてしまうのだ。

 さて、もういっそこのままヴァルボナまで下ってあと3泊くらいしてしまいたかったが、テスのホテルに置いてきたレンタカーの時間も、ドゥラスの宿と荷物も、飛行機の時間も、予定を変更するにはいろんなものをどうにかせねばならなかった。

 来る前は、せっかくここまできたのだから、行きたいところに行かなくては損だ、とまで思っていたのに、いざ来てみると、ここまで来たんだから次はもっと簡単に来れる。ヴァルボナでののんびりとしたステイは、人生のあとのほうに取っておこう…と思うようになっていた。それに、次はコーマン湖のフェリーにも乗りたいし、と。もしくは、そう言い聞かせるようにして、名残惜しくも頂上に別れを告げた。

 

 帰り道は逆に自分が「あと何分くらい?」と聞かれたり、「カフェってもうすぐ?」と聞かれたりして、そのたびに「もうちょっとだよ」とか「15分くらいだよ」とか答えていたが、登りと下りのスピードは当然ながら違うことに途中から気づいて、ちょっと短く言い過ぎたかもしれない…と少し後悔したりした。

 

 行きに立ち寄ったカフェ・バーに宣言通り帰りも寄ってみると、おじさんが笑顔で出迎えてくれた。特に何も話してないから(訛りが強くてわからなかったし)これには結構驚いたが、ジュースを一本買うと、ここに座って飲んで行けよ、とブルーシートの屋根がかかったどう見てもおじさん手作りの、丸太を半分にした長テーブルとベンチに腰掛けてタバコを吸い始めた。「お、灰皿がある」と思った私は「僕もここで吸っていいですか」と聞くと「なんでダメなんだ?」と言った。私はなんとなく、どう見てもアジア人で、日本人かもしれない私が、アジア人の全くいないアルバニアで、外でスパスパタバコを吸うのはいかがなものかと思い我慢していたところがあったので、灰皿というのは本当にありがたかった。ほとんどのヨーロッパの国々では外ではどこでもタバコを吸って良かったから、携帯灰皿を持っていたし、割と吸っていたのだが、アルバニアではなぜだか恐縮していた。

 煙草を吸いながらおじさんが話してくれたことは、よく聞き取れない部分が多かったが、「ここは良いところだろう。このバーをどう思う?全部俺が作ったんだ。金がないから、こんな材料しかなかったが、なかなか良い出来だと思わないか。若い時は下の村にいたんだ。なんで下の村からここまで来て商売していると思う?ここにはポリツァイ(警察)がいないのさ!」というようなことだった。何か怪しいことでもやっているのかと警戒したが、別に悪そうな人でもないので、一緒になって笑うしかなかった。それから、「呪われた山」の本体…の頂上である「マヤ・イェゼルツァ」にも行ったことがあると写真を見せてもらった。積雪の中、サングラスやらニット帽やらフードやら防寒具で誰だかわからなくなっているおじさんの写真を見て、「かなり難しかったんでしょうね」というと「そりゃそうさ」と誇らしげな表情だった。

手作りのカフェ・バー

 予想外におじさんと長話をしたりして、宿に着いたのは16時過ぎだった。「テスからシュコドラまでの峠道を明るいうちに抜けるのは無理だろう」と下っている間ずっと考えていた。

 宿に戻ったらもう一泊できるか聞こう、出来なかったら車中泊でもなんでもしよう。明日の朝早くにここを出発すれば、見たかった「ブルー・アイ」にも寄れるじゃないか、と。

 宿に着いてさっそく、「車を置かせてくれてありがとう」と亭主に話しかけると「どうだった?問題ないか?」と聞かれたので「最高の景色だった!ひとつ質問が。今日泊まれる部屋ってありますか?」と返すと「あるよ。見る?」という。ありがたい。早速別棟の二階にある部屋を見せてもらい、「パーフェクト」というと「オーケー。荷物を置いたら降りてきて。コーヒーを淹れるよ」と階段を下りて行った。

 コーヒーをもらいながら、夕飯のことについて尋ねると、まだ間に合うという。この辺りの物価からするとちょっと高い気もしたが、日本語Tシャツを着てくれている亭主のためにここはひとつ「今日はでかい肉を食べたいです」と一番高いメニューをさすといい笑顔でサムズアップしてくれた。Tシャツには「美しい街をつくりましょう。渋谷警察…渋谷は東京の街……土木技術…美化を推進。」などと書かれており、たまにおかしな漢字があった。謎のTシャツだ。
 少し休憩して、夕飯に指定された時間に降りていくと、「もうすぐできるよ」という。じゃあそれまでビールでも、と飲み始めたら、ドイツ人団体客のガイドをやっているというコソボ人の男性2人に「君が日本人だと聞いたんだけど」と話しかけられた。「そうだよ」というと、一人は興奮した様子で「ワッツ・ユアネーム」と繰り返しながら、これと同じことを日本語で言ってくれ、という。「あなたの名前は何ですか?」と日本語で答えるとたいそう盛り上がった。なんだ?と思っていたが、一人は日本のアニメファン、一人はゲームファンのようだった。あとになって、たぶん「Your name.」で「君の名は。」と言ってほしかったのだろうと気が付き、なんで盛り上がったのかさらにわからなくなった。もう一人は、ゲームの「ゴースト・オブ・ツシマ」をやったので、「サムライとか武士」に興味がある。日本のどこで学べるのか。あんまり有名じゃなくて、人が少ないところがいい。と言われ、鹿児島の武家屋敷と言ってしまったが、いささかいろいろな場所から遠すぎたような気もする。これがニンジャなら甲賀とか言うのだが、サムライについて学べる場所というのは難しい。日本刀や甲冑を美術館で見るのとは違うだろうし…。ゴースト・オブ・ツシマは僕も大好きなゲームなので共通の話題が出来、そこからそのうち日本語Tシャツの亭主も来て、呪術廻戦を見ているとか、ドラゴンボールを知っているかとか、日本のことについて話していると、みんなそれぞれ自分の仕事に戻らなければならなくなったようで「いつか日本に行くよ」と去っていった。

 これは確かタトゥー屋の主人に聞いた話だが、アルバニア人が日本に来ようと思うとかなりハードルが高いらしい。ビザの申請が大変なんだそうだ。中国へはビザがなくてもいけるらしい。いつか東京に行ってみたいけど、難しいよ、と言っていた。ベラトで泊まったホテルの主人の弟夫婦は去年日本に行ったと言っていたから、大変だったのだろう、と後で思った。まあ、ヨーロッパでよくある多重国籍とかで、ビザがなくても日本に来られる国のパスポートを持っているのかもしれないが。

 ちなみに夜ごはんの肉はでかくて食べ応えがあって最高だった。運動のあとの肉、うますぎる。


翌日、朝ご飯を食べ、もう一度亭主にお礼を言って、夕飯とホテル代のお会計をしてもらうと、昨日飲んだビール代を一本まけてくれるという。申し訳ない気もしたが、ここで断っては嫌な気持ちにさせてしまうかもしれないと思い、「本当ですか、ありがとう」と言ったら、「日本語でグーグルマップにレビューを書いてくれ」と言われた。オマケしてくれなくても全然☆5で付けるよ。

 

 1泊延泊したおかげで、テスの村の近くにあるブルー・アイ・カパに行くことができた。車で近くの駐車場(有料)まで行き、そこから40分くらい山道を歩く。
 「穏やか」と日本語で書いたTシャツを着た人が目の前から来たから、既視感を覚えつつも「やあ、日本語のTシャツだね!」と声をかけてみた。「え!あなた日本人なの?」「そうだよ、いいTシャツだね」「今日本語を勉強してるんだ、いつか日本に行きたくて」「すごいね、ぜひ来てね」「僕はアブラハムです」と自己紹介され、流れで握手をした。

 途中で青い川があるから、「これか!たしかに青いな」と思っていると、もう少し先が本物のブルー・アイだという。

これではない

 

こっち
ブルー・アイ・カパ(無加工)店員さんが特等席を教えてくれた(右)

 イタリアのカプリ島でも、クロアチアドゥブロヴニクでも、青の洞窟とかといわれている海を見に小舟に乗ったが、これまで見たどの「青の」と形容詞のつく景色より青かった。

 ちなみにブルー・アイ・カパの滝の向いにいかにも、これまた手作りの階段とテラス席などがあり、飲み物を買える。こんな山奥にどうやって物資を運んでいるのか、と疑問に思っていたが、帰りに缶コーヒーやらなんやらを背中に満載にして歩くロバと、手綱を持つお兄さんとすれ違って謎が解けた。ここでは何よりもロバの方が早いだろう。
 テスに着いた日に宿で喋ったスペイン人の夫婦にも帰りにすれ違って、「ブルー・アイ見てきた?どうだった?」と聞かれて「すごいブルーだった。あれはヤバイ」と言ったら陽気な奥さんが「楽しみ!」と言って、もう会えるとも限らないのに、「またね」と手を振った。それはとてもいいなあと思って、僕も「またね」と返した。

 それからはテスを後にし、途中で極楽のようなレストランに寄ったり、ドゥラスの宿の駐車場でトラブったり、バザールを見に行ったりしたが、その内記そうと思う。今はここまで。

極楽のようなレストラン
クルヤのバザール

アルバニア航空の飛行機

ドゥラスからアドリア海をフェリーで渡りイタリアの”かかと”バーリにいったり、バーリからアルベロベッロまでバスで行ったらギリシャ人のおじさんと一日ふたり観光することになったりしたのでそのこともいつか記録したいなあ。

ドゥラスのフェリーターミナル
フェリーとか、バーリとか、アルベロベッロとか