9/19

 朝、目覚ましが鳴る前に起きた。自転車乗りの男性は昨日の晩言っていた通り朝早くに出たらしく、綺麗にいなくなっていた。
 もう一人の宿泊者も既に起きていて、僕が起き上がると「めちゃくちゃ晴れてますよ」と嬉しそうに笑った。窓は磨りガラスだったが、青く光っていたのですぐにそれが本当だとわかった。彼は納沙布岬を諦めて、下道で札幌に戻るらしい。ひととおり片付けをして、単車を駅長の家の前に2台並べて荷物を積み、今はもう動いていないが、オブジェとして飾られているディーゼル機関車の前で写真を撮った。計呂地の公園を出るT字路で僕たちはそれぞれ北と南に別れた。
 「お気を付けて」「ご安全に」と挨拶をして、バックミラーで確認しながら遠くに消えるまで何度も手を振った。サロマ湖の波は穏やかだった。北を向いて走ると、左手に雨雲が見えた。札幌に向かった彼が雨に降られていないといいが。
僕も途中、何度か通り雨とすれ違った。どれも強い雨ではなかった。行く先でひとしきり降ったらしく、道路が水で反射して空が映って綺麗で、先に降ってくれた雨に感謝したりした。遠くの向こうは、道路が消えたように景色と同化していた。
 そのうち雨雲も綺麗になくなって、快晴のオホーツクラインを北上していく。オホーツクの海はエメラルドグリーンに輝いていて、なんだか太平洋や日本海とは違うように見えた。空の青と、海の淡い緑が見たことのない景色をつくっていた。
 途中、オホーツクラインから一本東のエサヌカ線に入った。海沿いの広い平地を真っ直ぐ抜ける道路だ。両脇には鮮やかな緑色の草原が広がっていた。見る限りどこまでもまっすぐだったが、その先は見えなくなっていた。おととい人に聞いた話では、水平線は17キロ先ということだった。地球の丸みで見えなくなるのが17キロ先なのだそうだ。水平線が見える道路、さすが北海道だなと感激しながら途中でバイクから降りて写真を撮ったりして、それでもすぐにエサヌカ線は終わってしまった。
昼飯を食いっぱぐれそうだったので猿払で一度単車を止めた。このあたりは帆立が有名らしく、わりと立派な道の駅で帆立カレーを食べた。かなり儲かっていそうだ。
 宗谷岬に近づくと、左手に穏やかな丘が見え始めた。遠くに風力発電の風車が並んでいた。そのまま行くと、そうかからずに宗谷岬に到着した。最北端の石碑だ。石碑の前には人だかりができていた。同じソロライダーの男性にお願いして、僕も写真を撮ってもらった。近くの土産物屋で最北端到達証明書とかいうよくわからないカードを買った。
 稚内までは海沿いを走ろうと思っていたが、行きに見たあの風力発電の丘を走りたくなって、宗谷丘陵に入った。選択は正しかったようだ。宗谷岬からとてつもなく急な坂を登ると、高い丘からは海が一望できた。丘陵の窪みのゆるやかなカーブを描く道を走るのは僕だけだった。大きな風車が悠然とまわっていた。あまりにも穏やかで、日本国内で好きな場所を上げるなら多分ここを選ぶだろう、と思った。
30分かからずに稚内に到着した。何度か稚内ライダーハウスに電話していたが、不通だったため予約なしで行くことになった。ライダーハウスの前に着いて単車を止めると、窓ガラス越しにおばちゃんが手を振ってくれた。

「飛び込みかい。大丈夫だよ。お風呂入る?」と聞いてくれた。
ライダーズハウスには本業がある場合が多く、根室なら食堂、計呂地なら交通公園、そしてこの稚内のライダーズハウスの本業は銭湯だ。隣にはみどり湯と書かれた看板がある。
「今日は休業日だけど、いつもライダーさんが入りたいって言うから入れてるんだよ。君も出かけたら入るかい」と聞かれた。名簿を見る限り僕のほかにも宿泊客はいるようだった。
銭湯内で人と出くわしたりすると嫌なので、「今からでも平気ですか」と聞くと「いいよ、出かけないのかい」と言う。みんな出かけるらしい。「入ってから出かけます」と答えると「そう、じゃあお風呂が400円で、泊まるのが1000円ね」ということだった。

 風呂は狙い通り貸切だったが、「お湯の温度はぬるめにしてあるよ、ライダーさんに熱すぎだってよく言われるからね」と言っていた割に、風呂の湯は物凄く熱くて僕は飛び上がった。
「セコマ行きます?」風呂に入って洗濯し、一階で寛いでいると、いつの間にか風呂から出てきたのだろう2人連れの男性が声をかけてきた。僕はありがたく徒歩3分のセイコーマートに同行し、何やかんやといいながら限定ものだという酒を3本買った。話していると、2人連れかと思っていた彼らはそれぞれ一人旅だったことがわかった。そのうちの1人は同い年だったので、僕らはすぐに仲良くなった。僕含めて3人だった買い出しはなぜか気付いたら5人になっていた。連れ立ってみどり湯に戻り、酒を飲んで騒いだ。4人ほどは歳が近いこともあって、話は尽きなかった。10人の旅人の中には、スイスからのバックパッカーもいた。礼文島に行くらしい。僕も行ってみたいとは思っていたが、日程的に合わなかった。日本語や拙い英語をまぜて話し、21時になると銭湯のおばちゃんが部屋の明かりを消し、ミラーボールをつけて話始めた。先週の北海道を直撃した台風の話や、このライダーハウスの話、彼女の近況なんかを聞いた。どの話もユーモアを交えて話すのでみんな笑っていた。僕たちもひとりずつ、自己紹介や旅の理由、それぞれの地元のツーリングスポットや、北海道の感想なんかをハンドマイクで話した。最後には全員で肩を組んで松山千春の"大空と大地の中で"を歌った、と言うか歌わされた。北海道の旅人の為のような歌を、僕たちはそれぞれ、酔っていたこともあって、噛み締めながら大声で歌った。

はてしない大空と広い大地のその中で
いつの日か幸せを自分の腕でつかむよう

 

歩き出そう 明日の日に
振り返るにはまだ若い
吹きすさぶ 北風に
飛ばされぬよう 飛ばぬよう

 

凍えた両手に息を吹きかけて
しばれた体を暖めて

 

生きることがつらいとか
苦しいだとか 言う前に
野に育つ花ならば
力の限り 生きてやれ

 

凍えた両手に息を吹きかけて
しばれた体を暖めて

 

はてしない大空と広い大地のその中で
いつの日か幸せを自分の腕でつかむよう

 

    "大空と大地の中で"  松山千春

 

 そのあとはカンパ制の焼酎を飲み、気が付いたらひとり、またひとりと二階の寝室に上がっていっていた。同い年のライダーと僕は最後まで話していたが、消灯時間を1時間回った頃には寝ることになった。