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 自転車乗りが早くに発つと言うので、見送って、食堂にいるお母さんとバイトライダーに挨拶をして発った。ほんのすこし走ったころ、随分と先に出た自転車乗りを見つけたので、止まって話した。「まだこんなところにいたんですね?」というと納沙布岬で写真を撮っていたらしい。さんま祭で会えたらいいですね。そう言って別れた。
 さんま祭の行われている根室港は、9時を若干回ったころだというのに、やはり人で溢れていた。僕のどう見てもバイク乗りな格好(シンプソンの上下雨具を防寒がわりに着ていた)を見て、「どちらから?」「や、遠くから来たんだね。若いなあ。風邪引くなよ」と、生のサンマを貰っては長い網の炭で焼きながら、世間話をした。中にはライダーもいて、今日泊まる宿を決めかねていた僕は彼に相談した。「網走か、そのさきあたりまで行きたいんですけど。丁度いい位置に宿がないので、クリオネに泊まろうかと思ってるんです」クリオネは北海道三大沈没宿といわれているライダーハウスのひとつだった。どうも居心地が良すぎて、なかば棲みついている人が何人かいるらしい。そういった古参の連中がいる宿は普通の人からしてみると、居づらいやらなんやらで、評判も下がってきているらしい。悪い話がありそうならすぐやめようと思っていたが、「クリオネですか。僕ももしかしたらいるかもしれないです」と言うので、案外大丈夫なのかもしれないと思って「もしかしたら会えるかもしれませんね」と言った。結局、クリオネに泊まるには網走から斜里まで30キロほど戻らねばならなかったので、泊まらなかった。彼ともう一度会うことはなかった。さんま祭で会えたら、と言って別れた自転車乗りとも、会えずじまいだった。

 ホッポーロードを越え、パイロット国道を通り、知床半島にさしかかった。知床、というのはシルエトクと言うアイヌ語に当て字を付けたものらしい。他にも北海道の難読地名はアイヌ語由来であることを知り、漢字をカタカナに直すのが楽しくなった。アイヌ語には文字がないから、残すのは難しいそうだ。知床半島には冬になると流氷がくるらしく、道は寒かった。知床峠は霧に包まれていた。阿蘇ミルクロードを彷彿とさせる霧だ。山頂にはより一層濃い霧が見える。あそこまでは登るまいと思っていたら、徐々に霧が濃くなり、どうやら気付かぬうちに随分と高いところまで来ていたらしい。坂で滑らないように細心の注意を払いながら下っていると、これもまた気付かぬうちに国立公園を抜けていた。途中、鹿を何頭か見かけた。

 日が暮れて1時間ほど走り、サロマ湖の畔にある計呂地の「駅長の家」というライダーズハウスについた。電話では管理人は日暮れごろ帰るから、他の宿泊客に入れて貰ってくれと言われていたが、管理人も待っていてくれたようで、暗い公園に入ると懐中電灯を持った老人が元気に歩いてきた。
案内してもらい、五右衛門風呂が沸いているというので、ありがたく頂くことにした。公園のはずれにあるその五右衛門風呂は本当に釜のかたちで、周りは板と屋根に囲まれていた。先についていた宿泊客の2人が薪を割ったらしい。あとから「結構大変でしたよ、いいとこ取りでしたね」と笑われたが、僕も参加したかったなぁと遅くなってしまったことを後悔した。なんにせよ暖かい風呂に入るのは久しぶりでうれしい。外だったが、不思議と服を脱いでも寒くなかった。

 風呂を出て駅長の家に戻ると、2人とももう食事は終わったようだった。自転車乗りの中年男性がひとり、ひとつ歳下だが会社員だという男性がひとりだ。僕は買ってきたご飯を食べながら、自転車乗りが見たという熊の話やら、これから行く稚内の話やらをきいた。ひとつ歳下の男性は煙草を吸うので、飯を食って明日の予定を立て、2人で何度か煙草を吸いに部屋を出た。自転車乗りは明日の朝が早いので、すぐに床についた。
駅長の家は暖房こそついていなかったものの暖かく、ふかふかの絨毯の上で寝袋に入ると上着を枕にして半袖で眠った。久し振りによく寝れた日だった。