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北海道12日間

走行距離 約2875km
給油量 約95.6L
燃費 約30km/L

 

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あとがき - h’s blog

 

−行程−
9/14 京都〜敦賀港→

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9/15 →苫小牧

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9/16 苫小牧〜白老〜日高幌別〜士幌高原

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9/17 士幌高原〜帯広〜釧路〜厚岸〜根室

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9/18 根室〜標津〜知床半島〜網走〜佐呂間

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9/19 佐呂間〜紋別〜猿払〜稚内

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9/20 稚内〜天塩〜羽幌〜留萌〜石狩

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9/21 石狩〜小樽〜積丹半島倶知安喜茂別

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9/22 喜茂別洞爺湖〜函館

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9/23 函館〜ニセコ〜札幌

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9/24 札幌

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9/25 札幌〜支笏湖〜室蘭〜洞爺湖〜小樽

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9/26 小樽→舞鶴〜京都

 

帰着

あとがき

 名前なんて要らない。僕が誰かなんてどうでもいい。ただの人間だった。
 たったの12日間ではあったが、1人で北海道を一周して思ったこと。当たり前だけど、人生で初めて行く北海道に僕のことを知ってる人なんかまずいなくて、それでも、いつもより人と話したような気がする12日間だった。コンビニの店員から、道の駅のおじいちゃん、スーパーのおばちゃんから、地元のライダー、ひとり旅の人や、居酒屋のお姉さん、ライダーハウスで出会ったみんな。両手両足では足りないくらい色んな人とたくさん話をした。その中でお互いの名前を知っている人は片手とすこし。でもすごく楽しかった。時には友達にも喋らないようなことも話した。僕がどんな人で、人と何が違くて、何を気にしてるかなんて、まるで関係なかった。生きていて、こうして偶然ここで出会ったから、僕たちは話している。経緯はそれぞれあるにしても、この瞬間、この場所に重なったから一緒にいる。それだけだった。そこには僕がずっと気にしていることなんて欠片も存在しないのだ。

 天気のいい昼すぎ、一人で走っている時、ふっと思い出す。忘れていた。あんなに、ずっと、ところ構わず僕を苦しめていたはずのもの。「だからどうした」とでも言うように、空は広く、時に海は穏やかで、時に山は大きく、どこまでも道は遠く続いていた。ああ、何でもないんだ。自由でいいんだ。僕はそもそも何者でもなかったのだと、大空と、広い大地が、教えてくれていた。
 気にしないことは無理だろう。色んなことに負い目を感じて生きていくのも確かだろう。でも僕は、それ以前にこんなにもでかい世界の中に立たされているだけの、たった一人の人間だった。それだけは何も変わらないのだ。

 どうにも分からなくなったら、深呼吸して、あの大きな世界を思い出そう。青い空に呑まれるように、透きとおる海に沈むように、ゆたかな山々に包まれるように!そして僕はまた、気が付くのだろう。たとえ全てが自分の力でなくっても、この世界に、ちゃんとまだ、立ってるってことに!

9/25

 周りの人が起き出す気配で僕も起きた。良い天気だ。僕はこのまま単車で1時間半ほどの小樽に行ってフェリーの時間までブラブラしようと思っていたのだが、室蘭に行っていないことを大先輩に言うと、「じゃあ室蘭に行ってきたらええよ。支笏湖通って、室蘭の先の地球岬まで行って、洞爺湖回って小樽帰ってきたらええくらいちゃうかな。小樽に1日おってもな」ということで急遽300キロほど走ることになった。

 この日はみんな8時には外に出て荷物を積んでいた。スーパーカブの彼が一番に出た。そのあとGLが大きな音とともに去っていき、ぼくもその後を追いかけた。支笏湖までは、地元のライダーが群れをなして走っていて、その最後尾について行くと、湖を半周するような形で南下した。支笏湖は大きく、また綺麗だった。北海道の湖という湖の水はほとんど綺麗なのだが。初日に通った白老の海辺の道をずっと南下し、チキウ岬に到着した。展望台は工事で上がれなくなっていたが、柵のギリギリまで身を乗り出してみると、なるほど遠くの海がなんだか丸く向こう側に飲み込まれているような感じで、地球が丸いというのを教えてくれているようだった。室蘭から北上するには湾を渡るおおきな橋があったが、通行止になっていて、湾をぐるっと回らなければならなかった。すぐに洞爺湖に差し掛かって、中山峠を越え、休む間もなく朝里のダムまで走った。峠を越えて見えてきたそのダムは驚くほど大きく、大自然の中にコンクリートが剥き出しの壁で水を堰き止めていた。裏側は公園のようになっていて味気なかったが、南側から見るダムは北海道でも最も素晴らしいところの一つだと思った。

 フェリー乗り場に到着し、今日の夜のチケットを買って、単車を置いて小樽の街に出た。古い建物が多く、どれをとっても雰囲気のある、石造りの街だ。昔栄えていたころの面影がちらと伺えた。地元の名店だという揚げ鳥屋のざんぎ定食を大盛りで食べた。

 最後になったが、セイコーマートのカードを作った。そろそろ船の時間だ。埠頭まではバスが出ているらしいので、だれも乗らないそのバスにさみしく乗車して船に乗り込んだ。五階建ての船のデッキから見る小樽の街は、少しあっけなかったが、雪国らしいオレンジの街灯と、そこにある懐かしさでもって人々を迎えているようだった。僕はここを去るのだ。ありがとう、楽しかった。また来るよ。さよなら。

9/24

 起きると良い晴れの日だった。昨日の雨で疲れていたものの、少々単車に乗りたくなりながら、市街地を目指して歩いた。すすきのまでは歩いて30分ほどだった。

 旅の間に聞いた美味しいスープカレー屋や、有名なラーメン店なんかを横目にしばらく街を歩いた。途中明日明後日着るための服を1セット古着屋で安く買って、裏路地にあるスープカレー屋に入った。怪しげな建物の中にあるスープカレー屋だったが、聞いていた通り人気らしく、常に人が出入りしていた。おすすめで、あまりメニューに出ないというラムスープカレーを注文した。ジンギスカンは先日食べたが、煮込まれたラム肉の塊は柔らかくてまた違った美味さだった。ほどよく味付けされたご飯と、上に乗った半熟の目玉焼きと共に食べたそれは絶品だった。食後にこれもまた美味いラッシーを飲み、また札幌観光に出かけた。

 旅の間じゅうガッカリ観光スポットとして聞いていた時計台はビルの間にポツンと立ったいた。中に入るか少々迷ったが、せっかく来たのだからと入ってみた。中は資料館のようになっていて、置いてあった本や資料、歴史のパネルに僕はすっかり満足した。

 ひとしきり観光し終わって宿に戻ると、客が増えていた。もう北海道も10回目だという大先輩に、20年ぶりにツーリングに来た中年男性、同い年のライダーがいた。僕はこのあとまた一階の居酒屋に行くつもりだったが、同い年のライダーとバスですすきのに出かけることにして、いい飲み屋を探しながら夜の繁華街を歩いた。彼はスーパーカブで埼玉から青森まで陸路を使い、北海道の西半分を回って今日ワッカナイから戻ってきたようだ。あとで彼の愛車を見せてもらったが、日本一周と書いてあるわりに軽装備なので業者と間違えるくらいだった。聞けば、日本一周は小分けでしているらしい。そう考えると、僕も東北地方を除けば小分けで日本一周している気がした。来年からは営業マンだという彼と安い居酒屋を探して飲み、いい具合に酔ったころ、歩いて宿に帰った。

 大先輩は23時にススキノの風俗街でソープを予約しているらしく、そそくさと出かけて行った。僕は今日1日久しぶりに歩いたのでもう疲れて、日を跨ぐ前に眠った。

9/23

 この日は朝から雨が降りしきっていた。もう1人の客が出たころ、小雨になったので荷物を積んで、近くの港から午後の船に乗るという彼と別れて僕は札幌を目指した。50キロほどは昨日と同じ道を北上する形だ。オシャマンベからニセコ、クッチャンを通り、ヨイチ、オタルとまた海沿いに戻った。ランコシのあたりで雨は止み始め、オタルからサッポロに向かうころには目の前の空に縦の太い虹がかかっていた。サッポロに着いたのは暗くなってからだった。夜のサッポロはネオンが輝いて、大通りの往来は激しく、路面電車もバスも走っており、僕は怯えながら大きな荷物を積んだ単車を走らせた。
 宿に着いて電話をかけると、管理人が二階から降りてきた。今年は台風の影響もあってか、ライダーが上がるのが早いらしい。この日は僕一人だったので、「好きに使っていいよ。なんなら札幌観光するのに連泊したらいい。バイクもガレージに入れといて大丈夫だよ」と言ってくれた。

 一休み入れてから、一階の居酒屋に飯を食べに行った。若い女性と、大将だけだった。酒とつまみのセットを頼んで食べていると、あとから女性の友人、高齢のおじさんと、キャバクラのキャストが来た。北海道にずっと住んでいるという女性ふたりとはなぜか人生の話をした。僕はあまり興味がなく、そんなものか、と思っていた。大将に道産のトウキビ(とうもろこしのことだ)や大きなシシトウ(これはもうピーマンと言った方がいい気がする)をサービスしてもらい、しかし酒も入ってくると話も盛り上がるもので、どうしてか僕はこの若い女性の年齢が知りたくなって、嫌がるかとも思ったが、割と乗り気で少しずつヒントを与えてくるのですぐに35歳だということがわかった。正直30歳行かないくらいだと思っていたので驚くと、「彼にビール」と僕は4杯めをいただくことになった。彼女らの出身であるという小樽の話や、僕の身の上なんかを話していると、宿の管理人が入ってきた。「お世話になります」と乾杯し、"とーちゃん"と呼ばれた管理人は「これライダーに差し入れ」と北海道限定、ソフトカツゲン乳酸菌飲料だ)を机に置いた。「朝飲むと元気が出るよ。冷蔵庫にしまっとけ」「こっちはやらねえからな。俺が好きだから」とリボンナポリン(これも北海道限定の炭酸飲料)を見せた。話しながら飲んでいると、19時に居酒屋に降りたはずが23時になっていた。僕はこの頃早寝早起きが基本だったので眠たくなって来て、居酒屋にいた人々にご馳走様と礼を告げ、会計をして二階に戻った。

 一人だったので置いてあった銀マットや寝袋を3枚ずつ使ってフローリングの上で寝た。

9/22

「かかさんが、ご飯先に食べて、寝るなら二度寝してくれって」と起こされた。
朝飯もそれは美味しくて、僕たちはみんなそろってご飯をおかわりした。ゆうくんに後ろ髪を引かれながら出発の準備をして、また来ると約束した。「今日は函館まででしたよね。途中まで一緒に走りますか」と言うので、同郷の客と一緒に出ることにした。校舎の前まで、かかさんと、もう1人の客が見送ってくれた。僕ら2人と自転車に乗ったゆうくんは前の道路まで競争し、大手を振って小学校をあとにした。何度か休憩をし、どこを走るか、と相談しているうちに僕たちは函館まで一緒に行くことになった。
洞爺湖のほとりをわずかにまわり、大沼と小沼の間の道を抜けて、駒ヶ岳をうしろに奇妙な小島がぽつぽつと浮かぶ沼の前で休憩をとった。
 函館までの海岸線はこわいほど風が強く、しかし僕達は長い直線道路を吹きさらしで走らねばならなかった。わずかにハンドルを左に切り、風に当てるように傾けて走った。建物の影やトラックを追い越すたびに風の波が僕達を襲った。しかし、なんといっても、信号待ちや、コンビニ休憩で話せるのは新鮮で、この日の距離はいつもとたいして変わらなかったが短く思えた。前を走る男に「休憩に入ろうか」という合図を貰うたび、距離を確認しては「もうこんなにも来たのか」と驚いた。

 函館のライダーハウスについた。宿には誰もいなかった。にぎやかな絵の描いてあるシャッターの前に並んで単車を停めると、すぐに管理人らしき中年男性が猫とともに出て来た。荷物を宿に置き、ひと休みしたあと、路面電車に乗って彼の知っているジンギスカンの店に連れて行ってもらった。五稜郭タワーの近くの、カウンターのある小さな店で、女将さんも気さくな女性だった。

 彼は北海道に入ったその日にこの店を別の人に連れて来てもらったらしい。照れくさそうに「また来ちゃいました。彼がジンギスカン食べてないそうなので」というと、「あら、それはウチの食べたらよそに行けなくなるね」と笑った。初めてのラム肉に感動していると、「本州の人にそんなに喜んでもらえると嬉しいね。臭いっていう人もいるから」とラム肉のソーセージを2本ずつサービスしてくれた。「とんでもない!めちゃくちゃ美味しいです」「じゃあ、今度は誰か連れて来てもらわないと」函館まで友人を連れてくるのは大変そうだ。「また、北海道来たら寄らせてもらいます」女将さんを交えて楽しい食事を終え、酒でいい気分になりながら店を出ると、雨が降り出していた。

 僕達はまた路面電車に乗って終着駅の地元で有名だという赤茶色の温泉に入り、それがあまりにも熱かったので2人とも逆上せて足をふらつかせながら酒とツマミを買って、冷たい風の中、宿に戻った。宿には客が1人増えていた。

 3人でまた晩酌をしながら話し、気付いたらみんな寝ていた。

9/21

 寒さで目が覚めた。昨日は暖かそうだったこのログハウスも、浜辺だからか、目張りしてある隙間のこれまたわずかな隙間からも冷気が入り込んでいた。気が付いたら朝だ。外に出てみると、存外いい天気だった。イシカリ川沿いの静かな住宅街を抜け、シャコタン半島まで海沿いを走った。オタルの街を見た。トマコマイからは敦賀までのフェリーが出ているが、オタルからは舞鶴までだ。僕は帰りの便はオタルから出る船にしてその日に街をじっくり見ようと通り過ぎた。海沿いの道は海岸線が入り組んでおり、トンネルが多かった。シャコタン半島に差し掛かると、海がどんどん青く、浜辺の水が透き通って海底が透けていくようすがわかった。ヨイチの町を通った。カムイ岬は快晴で、観光客で賑わっていた。岬の先までは往復一時間歩かねばならないらしい。単車を降りて女人禁制の門をくぐり、険しい山道を半刻歩いた。岬の先には灯台が立っていた。ここは、最も航海が難しいとされる灘の一つであるらしい。満潮の時期などは荒波で海岸線を歩くのが難しく、波に攫われた先人もいたようだ。亡くなった方の供養にと住民がノミで掘り進んだという小さなトンネルも見た。険しい崖から海を臨むと、それは素晴らしい景色だった。水平線を境に空は白から青く、海は濃紺からそれは綺麗な水色へと変化していた。突き出た岬からポツポツと尖った岩が連なって海から顔覗かせ、波に打たれていた。空には雲ひとつなかった。僕はまた半刻かけて戻った。
 そこからは山に向けて峠をいくつか越えた。ニセコパノラマラインはあいにくの曇り空だったが、僕は久し振りのワインディングを楽しんだ。リゾート地を抜けた山の中にある廃校になった小学校が今日の宿だった。途中、道を間違えてとんでもないジャリダートの山道に入ったりしたが、暗くなる前には旧小学校に到着した。何から何まで手作りで作ってあるようだった。「ととさんは今までいないんですよ」宿の主人は病気で街の病院に入院しているらしい。他の常連客に案内してもらい、教室の一室に荷物を置いて、職員室と書かれたドアに入ると、そこはカフェになっていた。レコードの暖かい音が部屋に充満していた。暖炉に火をくべて宿の主人の奥さんが帰ってくるのを喋りながら待った。「かかさんの車だ」白いワゴンが校舎の前に停まった。何か買い物をしてきたらしい。みんなで手伝おうと玄関まで行くと、小さな男の子がかけてきて「来い!」と僕の腕を引っ張った。ととさんとかかさんの末っ子らしかった。廊下を小さな車で走り、体育館を一周して、ブランコに乗った。「ゆうくん、あっちいくから、肩車!」僕はハンモックのブランコに乗った男の子の背中を押しながら、疲れ果てていた。校舎の裏の川まで忍者ごっこをしながら走り、長靴を持ってきて川に入った。「お前は今日からオレジな!」改名し、ゆうくん船長の仲間となった僕は、いや、僕が船なのだが、ゆうくんを乗せてひとしきり校舎の周りで遊んだ。ゆうくんはあとでかかさんに濡れた服を怒られたようだった。受付を済まし、常連客が淹れてくれたものの飲みそびれたコーヒーを飲みながら一服していると、またゆうくんがやってきて、「テレビ見なきゃ!見逃しちゃだめだよ!」と言って僕を自宅の方まで連れて行った。自宅と言っても校舎の中にある教室だ。教室の中で僕たちは子供向けアニメを二本続けて見た。そうこうしているうちに、晩御飯の時間になったらしい。同泊するのは5人で、僕以外は以前に泊まりに来たことがあるようだ。

 僕たちはかかさんの美味い飯を食べ、手作りの風呂に入り、晩酌をして、宿泊客のなかのひとりにピアノを弾けるものがいたため、古いピアノから穏やかに流れるジャズを聴き、眠った。

9/20

 朝起きると、昨日いた10人のうちの半分は既に出たようだった。僕は昨日から8時起き、9時発を宣言していたので、8時以前に出ると言っていた人々には挨拶を済ませていた。階下では、昨日最後まで話していた同い年の奴が今日の計画を立てながら、台風のニュースを見ていた。階段を降りていくと、「いってらっしゃい?」疑問系だった。「まだ行かんで」「なんや。送り出す準備出来てたのに」そう言ってすぐ、「俺が最後と思ってたけど違ったな。送り出すの寂しいじゃん」と笑った。「一緒に出ようか」というと、「9時でしょ?それなら俺のが早いわ」と返されたが、結局ニュースを見ながら話していると一緒に出ることになった。荷物を積み終えるころにはちょうど9時だった。「荷物積むだけで20分くらいかかるよな。俺8時半に出るつもりやったんやけどな」「僕は予定通りやな。9時やし」「なにそれ、俺が図られたみたいじゃん」「まぁ、お互い最後の1人にならんくて良かったやん」「たしかに!」そう話していると、朝には見にこないから、勝手に出て行ってくれと言っていたおばちゃんが現れた。「君たちが最後?」「「あっ!」」僕たちは一枚ずつ、買い忘れて諦めていたみどり湯のステッカーを買った。そしてまた、「それじゃ、お気を付けて。腹減ったなあ」「セコマあるやん、そこに。お気を付けて」なんて笑いながら細道から大通りに出て、時計回りの彼とは反対方向に出発した。
 かの有名なオロロンラインを南下した。空は昨日と澄んだ色の濃い青空とは打って変わって、くすんだ淡い水色をしていたが、雨が降っていないのが救いだった。海沿いの道には綺麗に一列に風力発電の風車が並んでいた。オロロン鳥の像を横目に、陸はそっちのけで海を眺めて走った。休憩に単車を止めた時、ちょうどオロロンラインを北上してきたライダーと会った。「ショサンベツで酷い雨にやられましたよ。そっちはどうですか?」「僕は降られませんでしたけど、ちょっと前に降ったみたいですね。ところどころ水たまりがあったので。今は大丈夫だと思います」「下るんだったらちょっと待った方がいいかもですね」というので、僕は道の駅で少し長い休憩を取った。喫煙所でワッカナイから暇つぶしにドライブに来たというおじいさんと、娘だろうか、連れの女性と世間話をしたので、何もないところだったが、暇はしなかった。
 雨にもやられずに、途中ハボロで飯を食った。緩やかな峠を越え、何度か覆道を通った。日の光が射し込んで柱が陰になっているのがとても綺麗だった。ナビの場所とは違ったため宿への道を尋ねながら、暗くなる少し前には今日の宿に到着した。イシカリの浜辺のすぐ近くにある無料のライダーハウスだ。聞いていた通り、小さいログハウスだったが、中は綺麗でいい匂いがした。寒くもなさそうだ。ログハウスの前が浜の砂なので、サイドスタンドが埋もれて倒れないように敷板を探した。前では電線の工事をしていた。あまりにも人がいないので少し寂しくなって、人の気配が欲しくてログハウスの前で工事をしているのを見ながら飯を食ったから、多分工事の人にはおかしな風に思われていただろうが、仕方がなかった。

 暗くなるまで時間がありそうだったので浜辺を散歩した。海水浴場らしいが、もう寒い、夕暮れ時の海には人っ子ひとりいなかった。ぼくは見張り台の上に登ってしばらく海を眺めると、後から来るかもしれないライダーの為に敷板を何枚か拾ってログハウスに戻った。結局この日は僕一人だった。

9/19

 朝、目覚ましが鳴る前に起きた。自転車乗りの男性は昨日の晩言っていた通り朝早くに出たらしく、綺麗にいなくなっていた。
 もう一人の宿泊者も既に起きていて、僕が起き上がると「めちゃくちゃ晴れてますよ」と嬉しそうに笑った。窓は磨りガラスだったが、青く光っていたのですぐにそれが本当だとわかった。彼はノサップ岬を諦めて、下道で札幌に戻るらしい。ひととおり片付けをして、単車を駅長の家の前に2台並べて荷物を積み、ケロチの公園を出るT字路で僕たちはそれぞれ北と南に別れた。
 「お気を付けて」「ご安全に」バックミラーで確認しながら遠くに消えるまで何度も手を振った。サロマ湖の波は穏やかだった。北を向いて走ると、左手に雨雲が見えた。札幌に向かった彼が雨に降られていないといいが。
僕も途中、何度か通り雨とすれ違った。どれも強い雨ではなかった。行く先でひとしきり降ったのだろう、道路が水で反射して、空を映していた。遠く向こうは、消えたように同化していた。
 そのうち雨雲も綺麗になくなって、快晴のオホーツクラインを北上していく。オホーツクの海はエメラルドグリーンに輝いて、太平洋や日本海とは違っていた。空の青と海の淡い緑が見たことのない景色をつくっていた。
 途中、オホーツクラインから一本東のエサヌカ線に入った。海沿いの広い平地を真っ直ぐ抜ける道路だ。脇には鮮やかな緑色の草原が広がっていた。どこまでもまっすぐで、一番向こうは見えなくなっていた。おととい旅人に聞いた話では、水平線は17キロ先ということだった。地球の丸みで見えなくなるのが17キロ先なのだそうだ。
昼飯を食いっぱぐれそうだったのでサルフツで一度単車を止めた。
 宗谷岬に近づくと、左手に穏やかな丘が見え始めた。遠くに風力発電の風車が並んでいた。そのまま行くと、そうかからずに宗谷岬に到着した。最北端だ。モニュメントの前には人だかりができていた。同じソロライダーの男性にお願いして、僕も写真を撮ってもらった。
 ワッカナイまでは海沿いを走ろうと思っていたが、あの風力発電の丘を見たくなって、宗谷丘陵に入った。この選択は正しかったようだ。宗谷岬からとてつもなく急な坂を登ると、高い丘からは海が一望できた。丘陵の窪みのゆるやかなカーブを描く道を走るのは僕だけだった。大きな風車が悠然とまわっていた。
半刻かからずにワッカナイに到着した。何度かワッカナイのライダーハウスに電話していたが、不通だったため飛び込みで行くことになった。ライダーハウスの前に着くと、窓ガラス越しにおばちゃんが手を振ってくれた。

「飛び込みかい。大丈夫だよ。お風呂入る?」
彼女の本業は銭湯だ。隣にはみどり湯と書かれた看板がある。
「今日は休業日だけど、いつもライダーさんが入りたいって言うから入れてるんだよ。君も出かけたら入るかい」
名簿を見る限り僕のほかにも宿泊客はいるようだった。
「今からでも平気ですか」「いいよ。出かけないのかい」「入ってから出かけます」「そう、じゃあお風呂が400円で、泊まるのが1000円ね。」

 風呂は狙い通り貸切だったが、「お湯の温度はぬるめにしてあるよ、ライダーさんに熱すぎだってよく言われるからね」と言っていた割に物凄く熱くて僕は飛び上がった。
セコマ行きます?」風呂に入って洗濯し、一階で寛いでいると、いつの間にか風呂から出てきたのだろう2人連れの男性が声をかけてきた。僕はありがたく徒歩3分のセイコーマートに同行し、何やかんやといいながら限定ものだという酒を3本買った。2人連れかと思っていた彼らはそれぞれ一人旅だった。そのうちの1人は同い年だったので、僕らはすぐに仲良くなった。僕含めて3人だった買い出しは気付いたら5人になっていた。連れ立ってみどり湯に戻り、酒を飲んで騒いだ。4人ほどは歳が近いこともあって、話は尽きなかった。10人の旅人の中には、スイスからのバックパッカーもいた。僕たちは日本語や英語をまぜて話し、21時になるとおばちゃんが部屋の明かりを消し、ミラーボールをつけて話始めた。先週の台風の話や、このライダーハウスの話、彼女の近況なんかを聞いた。どの話もユーモアを交えて話すので笑いは絶えなかった。僕たちもひとりずつ、自己紹介や旅の理由、地元のツーリングスポットや北海道のことをハンドマイクで話した。最後には全員で肩を組んで松山千春の"大空と大地の中で"を歌った。北海道の、旅人為のような歌を、僕たちはそれぞれ、歌詞を噛み締めながら大声を張り上げて歌った。

はてしない大空と広い大地のその中で
いつの日か幸せを自分の腕でつかむよう

 

歩き出そう 明日の日に
振り返るにはまだ若い
吹きすさぶ 北風に
飛ばされぬよう 飛ばぬよう

 

凍えた両手に息を吹きかけて
しばれた体を暖めて

 

生きることがつらいとか
苦しいだとか 言う前に
野に育つ花ならば
力の限り 生きてやれ

 

凍えた両手に息を吹きかけて
しばれた体を暖めて

 

はてしない大空と広い大地のその中で
いつの日か幸せを自分の腕でつかむよう

 

    "大空と大地の中で"  松山千春

 

 そのあとはカンパ制の焼酎を飲み、気が付いたらひとり、またひとりと二階の寝室に上がっていっていた。同い年のライダーと僕は最後まで話していたが、消灯時間を1時間回った頃には寝ることになった。

9/18

 自転車乗りが早くに発つと言うので、見送って、食堂にいるお母さんとバイトライダーに挨拶をして発った。ほんのすこし走ったころ、随分と先に出た自転車乗りを見つけたので、止まって話した。「まだこんなところに?」ノサップ岬で写真を撮っていたらしい。さんま祭で会えたらいいですね。そう言って別れた。
 さんま祭の行われているネムロ港は、9時を若干回ったころだというのに、やはり人で溢れていた。「どちらから?」「や、遠くから来たんだね。若いなあ。風邪引くなよ」生のサンマを貰い炭で焼きながら、世間話をした。中にはライダーもいて、今日泊まる宿を決めかねていた僕は彼に相談した。「網走か、そのさきあたりまで行きたいんですけど。丁度いい位置に宿がないので、クリオネに泊まろうかと思ってるんです」クリオネは北海道三大沈没宿といわれているライダーハウスのひとつだった。どうも居心地が良すぎて、なかば棲みついている人が何人かいるらしい。そういった古参の連中がいる宿はわれわれ普通の旅人からしてみると、居づらいやらなんやらで、評判も下がってきているらしい。「クリオネですか。僕ももしかしたらいるかもしれないです」「もしかしたら会えるかもしれませんね」結局、クリオネに泊まるにはアバシリからシャリまで30キロほど戻らねばならなかったので、泊まらなかった。彼ともう一度会うことはなかった。さんま祭で会えたら、と言って別れた自転車乗りとも、会えずじまいだった。

 ホッポーロードを越え、パイロット国道を通り、シルエトク(知床)半島にさしかかった。半島には冬になると流氷がくるらしく、道は寒かった。シルエトク峠は霧に包まれていた。阿蘇ミルクロードを彷彿とさせる霧だ。山頂にはより一層濃い霧が見える。あそこまでは登るまいと思っていたら、徐々に霧が濃くなり、どうやら気付かぬうちに随分と高いところまで来ていたらしい。坂で滑らないように細心の注意を払いながら下っていると、これもまた気付かぬうちに国立公園を抜けていた。途中、鹿を何頭か見かけた。

 日が暮れて1時間ほど走らせ、サロマ湖の畔にあるケロチの駅長の家についた。電話では管理人は日暮れごろ帰るから、他の宿泊客に入れて貰ってくれと言われていたが、待っていてくれたようで、暗い公園に入ると懐中電灯を持った老人が元気に歩いてきた。
案内してもらい、五右衛門風呂が沸いているというので、ありがたく頂くことにした。公園のはずれにあるその五右衛門風呂は本当に釜のかたちで、周りは板と屋根に囲まれていた。先についていた宿泊客の2人が薪を割ったらしい。暖かい風呂に入るのは久しぶりだ。不思議と服を脱いでも寒くなかった。

 風呂を出て駅長の家に戻ると、2人とももう食事は終わったようだった。自転車乗りの中年男性がひとり、ひとつ歳下だが会社員だという男性がひとりだ。僕は買ってきためしを食いながら、自転車乗りが見たという熊の話、これから行くワッカナイの話をきいた。ひとつ歳下の男性は煙草を吸うので、飯を食って明日の予定を立て、2人で何度か煙草を吸いに部屋を出た。自転車乗りは明日の朝が早いので、すぐに床についた。
駅長の家は暖房こそついていなかったものの暖かく、ふかふかの絨毯の上で寝袋に入ると上着を枕にして半袖で眠った。久し振りによく寝れた日だった。

9/17

 朝には夜の霧が嘘のように晴れていた。風が攫っていったのだろう。ほかの人が起き出すころには、明け方の雨と朝露で濡れたテントと寝袋、ズボンを干し終わっていた。1時間ほど太陽に当てると、すぐに乾いた。飯を食べているのを横目に出発した。ヌプカウシヌプリの峠道を越えようとしたが、先週の大雨で道が崩落しているようだった。オビヒロまで引き返して、フロンティア通りを越え、さらに東へと向かった。ノサップ岬にあるというライダーハウスが今日の目的地である。ウラホロ、シラヌカ、クシロの湿原を通り抜け、アッケシと太平洋沿いを走った。ネムロに着いたのは陽が落ちる1時間ほど前だった。半島に入るとそれまでの道とは一気に雰囲気が変わった。ここが最果てなのだ。怖いくらいに雰囲気のある漁村であった。年に一度、2日間、今が旬だというさんま祭が行われており、根室港には人が溢れていた。港沿いの道まで、炭火焼のにおいが漂っていた。ノサップ岬まではオホーツク海沿いを走った。暮れていく空に向かって走る一本道は、ぽつぽつと点在する寂れた家と、少し暗い北の海に挟まれて極東へと続いていた。

 岬のそばにある食堂の扉は閉まっていた。中にはまだ人がいるようだった。扉を叩くと、三角頭巾を頭にしたおばちゃんが出てきてくれた。「食事は済んだのかい?」「まだです。泊まりたいのですが」「そこの小屋ね。ちょっと待ってな」隣にはライダーハウスと書かれたプレハブ小屋が建っていた。しばらくして同じくらいの歳の男性がやってきた。「案内しますよ」「バイク、こっちに停めちゃってください。倒れるとマズイんで、敷板持ってきます」「これ、バリオスですか?」「僕もカワサキなんですよ、好きで」「最初変なバイク来たなと思ったんです。原型とどめてないじゃないですか、で、このへんみたらバリオスかなって」よく喋る、明るい男だった。冷却装置のカバーを差しながら笑った。「壊れたの治しながら乗ってたら、いろいろいじりすぎちゃって。」「自分でやったんですね。いいなあ」
「あ、受付と一緒にめし、食べていってください。もう食堂は閉めちゃったけど、お母さん、泊まるなら作ってくれるって。荷物置いたら、そこのドアから入ってきてください」
 食堂にはいると、それは賑やかだった。案内の男と、お母さんと呼ばれたさっきの女性がなにか言い争っていた。お母さんと呼んだので、「親子ですか」と訪ねると、「このバカ息子、日本一周してるバイトライダーなの。ここでバイトするやつはみんなあたしの息子なの」と言った。

「お兄ちゃん、たくさん食べれるかい?」
「はい。めちゃくちゃ腹減ってます」「そうかい。じゃあサービスで大盛りにしとくからね。サービスだよ。」
「お待ち遠様。さんま丼特盛だよ」
「これは特盛りも特盛りっすね。珍しい。いいなぁ」バイトライダーの彼が言った。
「いただきます」「はいよ」僕が食べている間、バイトライダーと"お母さん"はずっと親子喧嘩をしていたが、なんとなくそれは微笑ましかった。時々話しながら完食した。
「もう2人くるんだけどね。1人は自転車なんだ」

 夜、暗くなってから、明日の計画を立てているころ、もう1人が来た。入ってきて僕はたいそう驚いた。ネムロの市街地に入る前、追い抜いた自転車乗りだったからだ。この寒い中、半袖短パン、ヘルメットなしで坂を下っていた彼は記憶に残って当然だった。彼と話をしていると、バイトライダーの"バカ息子"がドアから顔を覗かせた。
「あとの1人は今日は来れないみたいです。消灯一応23時ですけど、おふたりのタイミングで寝ちゃっていいですよ」
そう言われはしたものの、自転車の男性は、なぜか話していて心地よく、北海道について2週間目に入るという彼の土産話や身の上話を聞いたし、ぼくも色んなことを話した。そういえばぼくの兄貴の一つ年上だった。

 そうしていると、めしを食っている時食堂の厨房にいた眼鏡の男がかなり酔った様子で酒を持って入ってきた。店の人だと思っていた彼も、ライダーで短期バイト中らしい。
「あした日の出見にいこうって話なんです。見に行かれますか?」さっき2人で立てていた計画を持ちかけた。そのあともしばらく酒を飲みながら話し、少し寒い小屋で布団を敷いて寝た。

 朝、起こされた。「そろそろ日の出の時間やないですか?」短期バイトの彼が咳き込んでそう言った。僕たちは3人で歩いてすぐの岬にむかった。岬には日の出を見にきた人がちらほらと確認できた。

 薄明るくなってきた空に、やっぱり寒いな、などと言いながら、僕たちは日の出を待った。ノサップ岬、日本の最東端からみる朝日は、素晴らしいものだった。雲の切れ間から 僅かに顔を覗かせたと思ったら、太陽はぐんぐんと昇って、海から離れた。赤い太陽が、まるく、水面をきらきらと反射させていた。並んで言葉を失いながら、次の雲にすべて覆われてしまうまで眺めていた。国内の最東端と最西端では日の出の時間がおよそ2時間も違うらしい。間違いなく、ここノサップ岬が、日本で一番早い日の出を迎えた。
 短期バイトの彼はそのまま朝の仕事に向かった。自転車乗りは体力を使うので、すぐに寝直しに小屋に戻った。僕は暖かいミルクティーを自販機で買って、朝焼けを見ながら一服した。 プレハブ小屋に戻ると、自転車の彼もまだ起きていて、お互いに大あくびをしながら「寝ますか」と笑った。

9/16

 昨晩はフェリーを降りて半刻ほど西に向かって走り、苫小牧市街地のネットカフェ自遊空間に泊まった。愛知からのBMWの中年男性は苫小牧港付近のライダーハウスに宿をとっているそうなので別れ、香川ナンバーの青年のあとについて市街地に出た。夜なので警戒していたが、目的地までの道は広くまっすぐで、すぐに明るい市街地に出た。9月中旬、夜の北海道は思っていたより寒い。眠れるうちにたっぷり睡眠を取ったほうが良さそうだった。ドリンクコーナーの暖かいスープを飲んで、日が変わる前に眠った。
翌朝、アイヌ民族博物館でオハウを食べた。
 これから東へ。反時計回りで北海道を一周する予定だ。いったんエリモ岬に向けて海岸線を南下し、道もなくなってくるころ道央に向けて北上した。シホロ高原に近付くにつれ、緑の豊かな木々の中に白い木が混ざっているのを見た。

 東ヌプカウシヌプリ山の麓でテントを張った。姿は見えなかったが、僕のほかにふた張りテントが張ってあった。高原だからか、北海道だからか、あるいはそのどちらもである可能性のほうが高いが、凍えるほど寒かった。炊事場に置いてあった湿気った木になんとか火をうつし、焚き木をしながらめしを食った。月の綺麗な夜だ。言われてみれば今日は満月であった。雲の切れ間から時々覗く月明かりが何よりも明るかった。山から吹き降ろす風は強く、木々が音を立ててしなっていた。夜が更けるに連れて風が強まり、僕がテントのはためく音に悩まされながらも寝かけた時、一際大きな風の音と共にテントが倒れた。

 「こっちに越して来ても?」テントが倒れた際にひとつ上のサイトにテントを張っていた人が見に来たので、テントの倒れていない彼らのほうへ引っ越すことにした。風除けになりそうな建物の陰にテントを張りなおしたころには少し疲れて、さっきよりは寝るのに苦労しなさそうだった。一晩中山は唸っていた。アイヌ民族では山には山の神がいると言われてきたそうだが、ヌプカウシヌプリを見上げてみれば、あれを神と言うのも頷ける。僕らがいつも見ている山とは、明らかに様子が違った。緑色の草の山に、白や茶色の、葉の落ちた裸の木々がまばらに立っていた。明け方雨が降った。テントを張りなおした時には暗くて見えなかったが、若干地面が窪んでいて、そこに水が溜まり、浸水してしまっていた。寝袋を越してズボンまでも濡れていた。

9/15


 窓の光で起きた。6時前だった。もしかしたら朝日が見られるかもしれないと思いオープンデッキに向かったが、あいにくの雲で太陽は見えなかった。今日は1日船の中にいるのだ。そう早く起きていても仕方がない。部屋に戻り、もう一度意識を飛ばすまでには時間がかかった。11時を過ぎたころ、船内アナウンスで目が覚めた。船内にあるレストランで昼食を開始する旨のアナウンスだが、僕はフェリー内での食事は高価であることを承知していたので、持ってきていたパンと自販機で缶入りの牛乳を買ってコンビニ袋をぶらさげオープンデッキに向かった。どうもオープンデッキは人気がないようで、昼過ぎと言っても僕だけだ。パソコンを持ち込みゼミの提出書類をあらかた作り終えたあとは、1冊だけ持ってきていた小説を読んで過ごした。喫煙は船内のスモーキングスペースに限られており、僕はその部屋のにおいが好きではなかったが、結局は何度か行かなくてはならなかった。
 「船長の・・・です・・・現在、速力27ノット、時速50キロで順調に航海中です・・・波は穏やかで、苫小牧港への着港は20時30分、午後8時半を予定しております・・・」僕は大型フェリーに乗るのは4度目、客室クルーズ船は過去2度ほど経験したがいずれも風や波は穏やかで天気も良く、クルーズ日和だと告げられていた。今回の船旅も上々である。

 船内では各々到着までの時間をくつろいでいた。年齢層は比較的高く、ドライブか、ツーリングか、机に大判の地図を広げている人も何人か見かけた。顔見知りになった3、4人の人とすれ違うたびに挨拶しながら、順調に航海していた。
 夕暮れ時になって、船は津軽海峡を横断した。昼間誰もいなかったオープンデッキでは、落日を見るためか、または見えてきた目的地を確認するためか、何人かが海に向かって手摺に肘をついていた。僕も彼らに習い身を乗り出すと、左手には青森の山が、右手には函館の街と函館山が霞んで見えていた。快晴である。落日の橙と澄んだ空の青のグラデーションが、僕には綺麗だとしか言いようがなかった。
 津軽海峡を横断してから3時間ほどで船は苫小牧港に着港した。

9/14

 僕は本当に今日発つのかわかっていなかった。というのも、今日届く荷物が二つあったからだ。しかし、その荷物もあっけなく昼過ぎに届き、陽が落ちてようやく船の手配をするために電話をかけた。荷物を括り付けたはいいが、あまりにも量が多いので、テントで寝るための銀の断熱シートは置いていくことにした。もうすぐ20時になるころようやく僕は自分の部屋を出た。曲がりくねった峠道を抜けて比叡山を越えた。夜の山道はけわしく、風で体温を奪われ、早くも持ってきた防寒着にお世話になることになった。161号の湖西線をまっすぐ北上し福井県敦賀市に入ると、そうたいして走ることもなく港へと到着した。

 僕のほかにも単車でフェリーに乗る人は7、8人ほどいるようだった。ターミナルで手続きを済ませて、フェリーへ乗船する列に並んで置いておいた単車のところへ戻ると、僕の前に並んでいた男性が声をかけてきた。「こんにちは」「三重のどこからきたの?」愛想のいい笑顔の、背の低い中年男性だった。僕がいない間にナンバープレートを見たようだ。三重から来たわけではなかったが、彼のナンバープレートに三河と書いてあるのをみて、「四日市です」と答えた。故郷が近いと親近感を抱くものだ。「私は愛知から」「そうみたいですね」ナンバープレートを指して言った。「来る時降られなかった?」僕はさっきの嘘とも言えぬ嘘に少し罪悪感を感じながら、「いいえ、今日は京都から来たので」と答えた。彼は毎年この船に乗って北海道を4、5日回っていると言った。予定を聞かれたので、11日間の旅を予定していること、キャンプ用具は持ってきたが、宿は決めていないこと、行く場所もあらかた目処はつけているものの、前日に決めようと思っていることを伝えると、また人好きのする笑顔で「いいなあ。かっこいいね」と笑った。北海道ツーリングでの心得などを聞きながら、お互いの単車の話をしていると、「乗船の準備をしてください」と声が聞こえた。「そろそろみたいですね。」僕たちのほかにも並んでいたライダーたちはみんないそいそとヘルメットをかぶり、単車にまたがり始めていた。どうやら単車が一番先に乗船するらしい。チケットを見せてしっかりしたタープをわたり、船内に入った。「ローギアで!ハンドルロック!」けたたましい音の響く車両甲板でヘルメットを被っているライダーの顔に口を寄せて乗組員が一言ずつ区切りながら発音した。大きく頷いて単車を停めると、客室入り口の看板に従ってエレベーターに乗り、車両甲板を出る。
 「いらっしゃいませ!」エレベーターを降りたわれわれを乗組員が大きな声で迎え、少なからず数人は驚いて立ち止まった。船内は綺麗で広々としており、なるほど、1日いても飽きないだろうと予感させた。乗組員に場所を教えてもらいA7と書かれた部屋に向かったが、ドアが開いていない。ガチャガチャとノブを回していると、廊下にいたおばちゃんが「なに、開かないの、貸してごらん」と助けを出してくれたが、結局鍵がかかっていて開かなかったので乗組員を呼んだ。申し訳なさそうに鍵を開けて彼は去っていった。10人一部屋のツーリストAは、一番安い価格の部屋だったが、この部屋は僕以外の客はないようで、ベッドも一番奥の窓際だったのですっかり満足して荷物を置き、靴を履いたまま足を投げ出して横になった。疲労と眠気を意識した。出航まではあと1時間と少しある。それまで眠ろう。
 次に起きた時には船は揺れていた。窓の外はただ暗く、何の景色も映していなかった。もう出航したのだろう。夜の海だ。朝までもう一眠りすることにして靴を脱いだ。